江戸 雪「カーディガン」（2024年；青磁社）
こめんと
第8歌集。2020年から2022年の作品。老いていく母との日々が穏やかに詩的に描かれている。現実は理屈抜きに厳しいはずだが、あくまでも現実とつながった上で詩的に表現されているのはさすが。作者の感受性の鋭さと力量なのだろう。買って良かった歌集。
付箋
卵から漏れ出たような灯あり通路をひたりひたりとゆけば
泡まみれの手から流れてゆく水をいつかの春の海が呼んでる
輪になってなんだか人は皆ひとり小さな壜に夏雲あつめ
パソコンの画面にあらわれたる兄を木の葉のように母は触れたり
空き地から染み出してくる夕暮れをひたりひたりと人は踏みゆく
道はあるだから別れを怖がらず熊野街道ここに始まる
この世には履くひとのなき靴のある玄関を出て玄関を閉ず
便箋は文字のないまま卓上にひたと置かれて夜を越えゆく
伝えたいことは伝わらないことで 大丈夫言葉こなごなになっても
忘れゆく名前はガーゼのハンカチのタグに書かれてアのつぎはキ、エ
朝焼けがでんぐりがえって夕焼けで母は記憶をたどり続ける
わらわれし日を遠景に母のその浅い眠りは死に似てゆけり
うつむいて靴をはかせた足首のほどの幹なり道の椿は
いちにちは何も起こらず夕暮れて地に落ちているカーディガンあり
