伊東 文「逆光の鳥」（2018年；青磁社）
こめんと
第1歌集。跋・小林幸子。帯・吉川宏志。広島出身で被爆者の母をもつ。奈良県在住。
付箋
演習を解くときいつも吾をよぶあの子はきつと一人子ならん
人の死は一行のメモのやうにくる経唱へゐしひと個室にて死す
蒸し暑き夜はいちめん燃えしとふ雨ふる夜はちりちり這ひて
Ｅ線を押さへるきみの左手の指輪はづされ匣にをさまる
とびつきりの笑顔の写真が選ばれて永遠に笑ひつづける弟
流されて揺りもどされて満ち潮の川面にたゆたふ灯籠あまた
二十日間の入院ののち帰る家にななめに干されし布団が見える
雪山家訪ひきて雪のなき吉野「かなしさ」は小さく彫られてゐたり
ベビーカー押す娘の後についてゆく波寄するごと虫の鳴きいづ
「ずる休みしたんよ」と母はうつむきぬ工場へ向かひし友ら死にけり
一人用電気ケトルにゆで卵つくりゐるらし息子の厨
母の死を受け入れてゆく時間なり会はせたき人ふたりを呼びぬ
八月六日のちの七十二年目を母に替はりて吾がすわる椅子
報道の腕章つけたる二人きて近くより喪服のわれらを写す
