吉澤ゆう子「緑を揺らす」（2023年；青磁社）
こめんと
第1歌集。解説・真中朋久。2008年から2022年の461首。伊勢市在住の作者。穏やかで繊細な歌が並ぶ。ひとり息子の成長を見つめる歌は生き生きとして、歌集中の時間の流れを作っている。その中で父親のふるさとである硫黄島の歌がスパイスのように入っている。
付箋
水遣ふ神はいびつな樹々となり影を川面にうつしてゐたり
叶ふことなき憧れは濃く淡くくらき樹間を匂ひきにけり
三日月のやうなバナナを幼子に渡せり月の傾きのまま
トラックを取り上げられし幼子の虚を横ざまに風の吹き過ぐ
母であること明日のことを忘れてチェロをただ弾く旋律となり
いつしかに筋肉質になりたる子ぎゆつと抱けど隙間の多し
覗き込む顔のぶんだけ襖開け子はわが熱を声ひくく訊く
をのこ子を産み得し吾は「でかした」と言はれゐたり大きな声に
おもふさま甘やかしくるる雨の夜の闇慕ひをり母になりて後
ただいまと行つてきますをひと息に言ひて男の子はゐなくなりたり
ゆく場所のごく限られしかの島に父は歩めりただ黙にゐて
集落の墓地のいちばん奥に立ち祖父母の墓の木漏れ陽に照る
子の机には大きパソコン 梟の縫ひぐるみ二羽はわが棚に来つ
欄干に触れれば指はざらついてひときは冷ゆる中指の先
少年は手を投げ出して眠りをり吾よりつよきｆを生む手
わがために怒りくれたる少年の背のこはばりを掌にしまひたり
蓬莱の肉まんを買ひ少年は肉まんがわらふやうな顔せり
二股に分かるる生姜うすぐらき冷蔵室の奥処にしまふ
あをき葉とくれなゐの葉の際立ちて御幸道路は樹の多き道
やがて樹は幹に記憶をしまひつつ丘に大きな梢をひろげる
声よりもわがこゑであるチェロを容れハードケースは背に平らなり
幾百の枝垂るる枝にまもられて灯り始める梅花の時間
さまよふといふにあらねど樹の下にわれは次なる樹を見てをりぬ
