田中律子「プリーズ・コール・バック」（2010年：砂子屋書房）
こめんと
母の介護、父の死、祖母の死、いつでもしっかりものとして立ち続ける作者の歌には直球勝負の強さがある。たぶん、そうしなければ折れてしまうからだろう。女性が自立して生きて行くのは簡単なことではない。小気味良い歌の裏には人生の苦さもにじむ。
付箋
海原に秋の陽一日遊ばせて赤富士映ゆるウオーターフロント
三十部コピーとる間にストレッチしてゐる君が今朝はまぶしい
淀屋橋までひとり歩きぬ梅田までさらに歩きぬ なかなか暮れぬ
電子レンジ三台置かれ本社から社員食堂消えてゆきたり
逢ひの後仕事に戻る君を送り聖橋から小石投げゐつ
拉致されしごとく嫁ぎて来し母が遠きまなこに七滝恋ふる
火葬場まで連れてゆけない母残し遺影を抱きバスに乗り込む
「お帰り」のこゑなくなりて一ヶ月慣れよ慣れろと言ひ聞かせたり
「あんなにも引つ込み思案だつた子が」そんなことだけ母は記憶す
授業参観でわたしがいつもしたやうに母は振り返りわたしを探す
読みかけの文庫本にはボールペンはさみてありぬ そつと抜き出す
「七滝が見たい」と母は繰り返す母の記憶をたどりゆきたし
眉がないのに眉をひそめてゐるやうな顔をするなり猫はときどき
志望動機聞きつつ自分に問ひかける何故今われはここに居るのか
肥後の地に百歳の祖母病む秋よ母には告げず絵手紙を書く
君からだけ返信来ない金曜日房総巻を買ひて帰りぬ
とりあへず目薬をさす怒りたるソウル支店へ返信のため
秋空へ向けて携帯鳴らしたり「ＰＣＢ」お父さん、電話ください
