田中律子「森羅」（2021年；ながらみ書房）
こめんと
第3歌集。帯・永田和宏。森羅ということでEnergy, Ambivalence, Transition, Eternityの4章から成る。総合商社のキャリアウーマンが親の介護をしながら大人の恋をし、結婚をし、そして親を送る。と言う歌がちりばめられている。凝った構成が物語を追いにくくしている気もするが作者の意図かも知れない。定年を迎えて介護も終わり、これからの活躍が楽しみ。
付箋
雪が来る前のあかるさ 鳩たちは膨らみながら餌をついばむ
夢のあはひにひかる梅花藻ゆれながら水の祠にありしふるさと
待つことは厭はぬきみと茅葺きのふるき駅舎につばめを仰ぐ
<子を産んだこともないのに>育児担当われに放たれる矢がいくつ
こきこきと桃の缶詰あけてをり週でもつとも病むのは火曜
ブラインドすこし広げてのぞき見る雨の降りだす湾岸通り
口のなきハローキティの着ぐるみに追ひかけられて夜にまぎれつ
男性の育児休業ひとり出せ 会社指令はまたもからぶり
点滴のあひだの夢に亡父がきてわれに帽子をかぶせて帰る
投票所の台にぽつんと光つてる花山さんが忘れた眼鏡
死者を搬ぶエレベーターの奥ゆきをおもひつつ介護病棟を出づ
「まかせて」ときみが言ふのは拒むとき追加でたのむ二合徳利
父は亡く母もをらねば琥珀色のバージンロードはひとりであるく
てのひらに硬貨をわたすこともなくセルフレジにて今日のパン購ふ
あちこちでナースコールの＜メヌエット＞鳴りやまぬ春の介護病棟
ラジオ体操第二はいつもかなしくて握るこぶしが空回りする
いま母を引きとめてゐるアドバルーン買つてほしと泣いたわたしが
点滴バッグ吊るしたままの車いす母とゆきたり 秋のその先
ロボットが掃除をしてる午さがりのロビーをぬけて見るちぎれ雲
済み印を次々押してゆくやうに通夜までの日を過ごしてをりぬ
左肩に金具がのこる嗚呼あのときとみながつぶやき骨を拾ひぬ
ふたたびは行くことのなき母の里 だんだん畑に水ぬるむころ
やめとこか 考へるのも詠むことも朝はきれいな蝶がきてゐる
