小島ゆかり
水陽炎
- 藍青の天のふかみに昨夜切りし爪の形の月浮かびをり
- 夕暮れに花閉ぢて立つチューリップ揺るるは人の悲しむに似る
- 花を挿すグラス曇りてわが内に昏く発酵する言葉あり
- みなかみの水陽炎のはるけさに母となるべき九月はありぬ
- 身ふたつとなりたる我と嬰児のはじめの対話乳を哺ましむ
月光公園
- いましばし言葉をもたぬをさなごに青き樹のこゑ冽き水のこゑ
- 吹く風のみなもと恋ほし秋の日は麒麟のごとく眼を遠くせり
- 夜のたたみ月明りして二人子はほのじろき舌見せ合ひ遊ぶ
- 五十日われに宿りし蛍子はけふ一滴の死者となりたり
- 切子なす子供の孤独 持ちあるく壜の内にて飴かち合ひぬ
ヘブライ暦（1996）
- だれかいまわれを宥せし 白雲がひとつしづかに真上に来たり
- 山鳩のこゑに似るとふ日本語よほーほろほーほろ愛し日本語
- アメリカで聴くジョン・レノン海のごとし民族はさびしい船である
- 長靴でゆけば愉しき童話めき雪のなかに郵便局ある
- 死を囲むやうにランプの火を囲みヘブライ暦は秋にはじまる
希望(1999）
- 月ひと夜ふた夜満ちつつ厨房にむりッむりッとたまねぎ芽吹く
- 二重瞼にあくがれわれを責めやまぬ娘らよ眼は見るためにある
- 根小屋橋の上にかかりて先生の形見のような白き月あり
- ポストまで遠回りする月のよる切手のなかの駱駝と歩む
- 桐の木に夕紫の花ゆれてみづみづといま孤独に還る
- 希望ありかつては虹を待つ空にいまはその虹消えたる空に
- すれちがふ人の心音聴くまでにしづかなる夜を木の影うごく
- 照りわたる水をりをりはくちなはの背に似て奇しどんこ舟ゆく
- なほしばし合歓昏れ残れ眼をとほくしてゐねば人を憎みてしまふ
- 夾竹桃は戦争の花と母言へりかならず言へり夏が来るたび
獅子座流星群(1998）
- 椅子にのり電球をもぐ夜の人を垣間見にけり向ひの窓に
- 「雨だから」そんな理由で生活を休む日が欲し今日も雨だから
- すこし泣いてもよいか子の手を握りしめ握りかへしくる力を持てり
- 鐘りんごん林檎ぎんごん霜の夜は林檎の中に鐘が鳴るなり
- そんないい子でなくていいからそのままでいいからおまへのままがいいから
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