小林真代「ターフ（turf）」（2020年；青磁社）
こめんと
第1歌集。跋・真中朋久。いわき市在住。タイトルのターフは東日本大震災の前に働いていたジャズバーの名前らしい。震災後は内装工事のガテン系の仕事をしているようだ。懸命に生きている日々のなかのこころの揺らぎがストレートに力強く詠われている。それが読むものにとっても、救いになっている。
付箋
あたしたち楽しかったわね、マーサ。ぬばたまのグランドピアノ雨に濡れたり
銀色のタンクに青空映されて歪んでそのまま運ばれゆきぬ
夕近し梯子をつかむ我が指が軍手のなかに冷えてをりたり
＜俺も元気だぜーまた演ろう＞短き返信ゆゑに幾度も読む
不機嫌を言はぬ息子はもくもくと飯食ひ茶飲み長風呂をせり
「橋はだめ」と言ひくれし人に順ひて坂道たどり子は帰り来ぬ
生まれ来し日の子の写真一葉をリュックに入れてこの家を捨つ
雪が来る前に帰つぺと決めてしまへば午後はほとんど仕事にならず
饒舌なメール幾つか送りてのち真夜の湯船に口をきかざり
食べる口が物言ふ口であることのかなしみ物を食ひつつ泣けば
お母さん昭和の歌はいいよねと言ふ子と早く酒が飲みたし
服用の指示なき三年 冷蔵庫に安定ヨウ素剤は古りたり
足のかたち先祖の誰かに似てゐむと思ひつつ冬の靴下をはく
逃げろと言ひ戻れと言ひどこへでもゆけと言ふ我ら大人は勝手
汚れたままの足投げ出して昼寝する洗濯物はとりあへずそこ
「親方」と呼べば「あいよ」と応へありそのこゑをたよりに足場を上る
子の部屋の裸のベッドに腰掛けて半月はあかるいはうの月
産みし子が遠くの街ではたちになる今日をたのしむビール冷やして
焼酎で渋を抜きしといふ柿の味なきところもうましと食へり
折々に父母が送りくるるゆゑ落花生なるけたいを愛す
